昭和51年10月10日 特別奉修委員
かつらぎ教会
最近の御理解の芯になるところというと、「心行」ということが盛んに言われる。しかもその、芯になるところの今度は対称になるもの、「寛」という字、ウ冠に草冠を書いて、見ると書く。一切を神の働きと見ると。そう信じれれるということが、合楽の中心になる方たちの信心根性の中に染込んでしまうということが、信心の根本になるものだと思うですね。
皆、それを、この頃十三日会の時にそれを思ったんですけれども、本当にこの信心が、教導ということは大変なことだと思いますよね。そういう大事なことが、本当にそうだと思い込めてくるように皆さんがなって来られたということ。そこには問題も何もないということ。
だから、それに取り組まなかったら何ですけれども、特に私は女の方たちはやっぱり、一つの病的なめぐりのようなものを持っているですね。例えば、今ニコニコしよるかと思うと、次には悲しい顔をしたりね。これはやっぱり女の方にそういう、その、病的なものがあるんです。いわゆる、あのそれが高じると、結局ヒステリーということになるわけでしょうけれども。
そういうような、生まれつきに、おなごという業をかろてきとるという、まあそんなことじゃないかと思うのですけれども、そこんところをいつも、あのおかげを頂いていかなければいけない。
今日もあのう、佐田のおばあちゃんが、お届けをされますのに、昨日、部屋のタンスの模様替えをしてもろうた。タンスの飾り棚の中にダルマさんと何かを入れてあった。それが入っとらんげな。それけん聞いたら、「それはあっちへ持っていっとります」と言う。
「持って行くならもって行くと私に一口言うち持って行きゃよかことで、そればどげんして頂いたらよいか分からん」ちゅうごたる顔で今日は、これは怒ってなさるなと思うたんですけどね。
それがもう、昨日からどんこんこんこんされんごたるある。「先生、こげな時にどげんしたらよかろうか」と言うから、だからもう、「本当は、あのおばあちゃん、全然、その、問題なることじゃなかじゃろうが」と私が言いました。
もう神経がこまいということは、神様の方へ向けられた時には素晴らしい。けどもそういうことが、昨日からもう、何十時間もたまらんごと、いうごとこたえんごたる、それをこげん辛抱しちゃあるわけです。
ところが、なら、「寛」の字で頂いたらですね。その御理解が出てきたら、少しも問題じゃない。全然問題じゃないこと。そりゃ普通の家でなら問題になるかもしれませんよね。おばあちゃんのタンスの中のもんば扱うとるというならね。
けども信心しよったら、絶対問題じゃないことです。だから、そういうことが問題になる時には、今あなたはヒステリーが起っておるとまず思わにゃんですね。これは銘々がですよ。
だから、皆さんがここんところを覚えてです、他の婦人の方たちにも教えてもらいたいと思うわけです。皆さんたちはそんなことはなかですけどもね。特別奉修員の方たちの場合、まさかそんなことはなかろうと思うけれども、あの、だから問題にならないことが問題になっている時には、ヒステリーが起っている時です。間違いなかです。
今、秋山さんから御届聞かせて頂いて、「本当私の一番欠点が、主人が右と言えば左と言う。息子にでんどうかあると、困ったこととして、あんたが」とこう、たとえば息子やら、他んとこで出来とるばってん。主人やら子供の前では出来てないということは、出来ていないということなんですよねえ、やっぱ。
それをこの頃は、心根を教えて頂いて、全然それが問題にならないようなお繰り合わせ頂いて、「これは自分がまんまんちゃんになって行きよるごたる気がする」と言う。「かずえさん、そうばい」って、「本当に自分ばまんまんちゃんになって行きよる気持ちがね、有難いと」って。まあさっき二人で話したことでしたけれどもね。
お互い、確かに、それこそ、女の方は明神様と言われるが、明神様を目指すことですよ。そして、自分で、はあ、これが明神様になって行きよるとだなと、問題が問題でなくなってくるということ。それば言わんで済むことのありがたさと言うものがまんまんしゃん。
だから、その特に女の方にはそういう一つの、まあ生まれながらに、一つの、金光教的ではないけれども、業かろうてきとるというならば、そういうようなことが男性よりもはなはだしいということじゃなかろうかと思うんですよ。ですから、悔やまんでよかことに苦慮したり、問題にせんでいいことが問題になるごたる、もうそれは寛の字が分かりきっておっても、そういう心がある時には、やはりおかげ頂かなきゃならん時だと。
私は今日、中村さんが参ってきなさるから、私は中村さんが本当におかげを頂かれる、それこそ名人芸を、いつもここで聞かせて頂くわけですけれども、今日の御理解で言うと、皆さんがおかげを受けられる、そのおかげを受けられる人の信心を研修するという。あの人のどこからそのおかげが受けられるじゃろうかということですよ。
例えば、中村さんたちが、ここで毎日お届けを長々とされますが、それをテープに録っておきたいごたる感じがするです、中村さんのお届けは。もうそれはちょいと今日は、ああしていろんなお花の先生やら、お茶の先生、いろいろ着付けの先生、いろいろこの頃大変なおおあらわで忙しいわけです。それに、どこどこの会場に行く時には、どの着物着ていくか、どげな髪型で行こうかまでお届けされる。
「そげなこと、あんたがよかごとせんの」と普通なら言いごたる感じですけれども、この辺が何とも言えん。そして、おかげを頂いて、「昨日親先生がぞうりをはいて行け」と言われたので、ぞうりをはいて行ったら、もう、ぞうりはいていてよかった。着物着ていけと言わっしゃる、着物を着て行って本当におかげを頂いたと言う、あくる日それを、またお届けの御礼がずーっとある。
だから、本当に一遍、あの、婦人部の方たちで、中村さんの信心を解剖するというか、検討して、そして、なら、おかげが実に、そして、何と言うでしょうかね。もう実に赤裸々です。
例えば、一つもんな、昨日こげなお知らせを、雷なら雷の、先日から御理解を頂いたから、これは、神様の働き、もうこれを天地自然の働きと見るということが分かっておりますけれども、半分はスキッと頂けるけども、半分が頂けんというお届けがあるんです。ここんにきがちょっと違うとこじゃと思うですね。赤裸々です。
半分な頂くじゃん。そればってん、半分が頂けんちゅう。腹ん立つことなら腹ん立つことだけをね、そこば今度お取次を願うて行かれると、それが明くる日は、パアーっとしたおかげになっておるわけです。まあ、そりゃ何とも言えん、そのおかげを頂いて行かれますですね。
今日は、皆さん本当、あのう、ただ、女の方は、今度は男とは違ったところは、この、一念発起が出来ることですね。こりゃもう男じゃ勝たんです。その、やっぱり、悪う言うと、なんちゅうかね、女の一念な、岩をも通すというふうは良いふうに言いよるばってん、何がそれば言い出したら、恨めしかということになってくるわけでしょうけどもね。恨めしかところば、有難いものにして行くということを、あの、先日から、屯田さん、福岡から三宅さんのお導きで参って見えます方がね、まあだ、ここに3回ぐらいしか参っていませんけれども。
ただ大黒様が、合楽の大黒様が御利益があるということで、夫婦で参ってきて、そして、その時お話を頂いて、難儀な問題の取次を頂くということを知って、それから間もなく、大変な難儀な問題をお届けに出て見えましてね。
それから私が、大祓い信行のことやら、拝詞のことやら、大黒様の前で、おかげの泉を買って行って、いよいよいかん時には、そのおかげの泉を開いてみなさいといったようなね。それが、もう怖いごと一念を燃やされる。
その代わり、最近は拝まれるとね、拝み出されると、目の前が真暗になる。その真っ黒の黒幕の中からいろんなものが飛び出して来るそうです。かえるが飛び出して来たりね。それがもう分からない、素人じゃからどげなことじゃ。
けれどもそん時には、もうおかげの泉ば開くとチャッと答えが出てくる。もう、一念ていやあ、私はもうこんな人が本なごて、あのう、わらの人形に五寸釘というごたることになったら、本当に祈り殺すことでも出来るじゃろうと私は思いますね。もうこの人に恨まれたら最後、やっぱ、そげんじゃろうと私思いますよ。
それが、昨日、その話をしました。一昨日、稲垣さんが、早速電話をかけて、そしたら、ここではお届けのできない、いろんな問題をいろいろ話されたそうですがね。
先日も…
(A面途中切れ)
それを頂いた。
さあ、どういうことじゃろうかと思うて、思いよった。して、何気なしにテレビをちょっと引っ張ったらね、何とか巨泉ちゅうとが、花言葉の説明をしよったそうです。そして、丁度萩の花は、「萩はどういうことか知っとるですか」と言いよるとこじゃった。もう、それこそびっくりした。今萩を頂いて、巨泉が萩のことの説明をしようとしておる。
それはどういうことかと言うと、「恨む」ということだそうです。ところが、自分が、それこそ、いわゆる三角関係で、大変問題が起こっておる。姑親のことともう、相手の女子氏のことをもう、それこそ恨み殺そう思うごとあったわけです。もう、御祈念でん、そのことばっかり御祈念するくらいにあったわけです。そん時に、その、恨むということが。
だから、良い方へ頂けば、有難いけれども、悪い方へ言うと、五寸釘的なことになり、良い方に言うと、一念岩をも貫き通すというようなものがあるわけです。
と同時に、女の方の、これは業とも思われるようなね、いうならば、ヒステリーじゃなくても、的なものがね、例えば、クーとしたりね、というより、皆さん、鏡ば見れば皆さんよく分かるですよ。もう、クーとした時はね、そのままね、鏡の前に座ることですよ。
鏡の前に座った時には、ちょこっとニコッと笑ってみてからするけん、分からんとです。だから、今な、クーとしている時には、ずっとそのままじいーっと鏡の前に座るとね、これじゃあ周囲の者がジュツなかろうという顔をしとるですよ、女子が本気で怒った時には。
今朝、私は、それを佐田のおばあちゃんに感じました。だから、本当に、自分がこんな顔をしとる時に、家族中に、周囲に、どげな思いさせるじゃろうかということをね、一ぺん思うてみなければ、自分がクーとしとる時にいかん。しかも、こっちはタンスの中を片付けられとる時にクーとしとる。しかも、昨日から今日続いておるちゅうことですよ。
そりゃもう、全然問題じゃないじゃないですか。「問題にならんことですよ」ち言ったら、「そうですかな」ち、まだ不満そうな顔をして帰られましたけれどもね。
もうこれは、まあ、ちいっと強かつのと弱かつとがありますけれども、お互いに、特に女性の方は、そういうものがあるということね。そこをおかげ頂いて行く、スッキリとね、おかげの頂いて行けれる、ひとつおかげを頂かなければ、お徳にならんと思うですね。どうぞ。